やぁ、どろ亀さんだよ
(どろ亀さんからの伝言)
かつて、どろ亀さんが語っていたお話です。著書や雑誌に掲載されたものを抜粋しています。
伝言①:どろ亀さんになったワケ
伝言②:落第した時の親父の言葉
どろ亀さんのふるさとは、岩手県の山奥にある沢内村だ。
どろ亀さんが子どもの頃は、どこの家も茅葺き屋根だったし、電気もなくてランプの生活だったんだよ。冬はまぁ雪の多い所で、大雪が降ったあとなどは、屋根の上をウサギが走っとった。
中学は、いまの北上市にある黒沢尻中学校というところ。そこへ補欠で入って。弘前の高校ではスキーに夢中になりすぎて、とうとう落第さ。トンボと言うあだ名の数学の先生に「お前、スキー部に入れ」っていわれて。あとで聞いたら選手が足りなかったんだって。滑降にジャンプに……当時はやたらと両腕を回しながらのジャンプで、いわば原始時代さね、4、50メートルは飛んだもんだよ。スキーのほかにもサッカーや乗馬、剣道に弓、いろんなスポーツをしたもんさ。意外だってか? スポーツマンだったんだよ、どろ亀さんは。
何の話だったっけ、そうだ落第だ。どろ亀さんが帰るより先に、学校から落第の通知が家に届いていてね。このときはさすがに親父に叱られると覚悟したさ。でも親父は「同じ失敗を繰り返さなければよい」とだけ言って、ふっと笑顔をみせてくれた。このひと言はしみたねぇ。今でも覚えてるよ。
東京の大学へ入ったけども、言葉がだめでね。なんたって南部なまり丸出しで、「し」と「ひ」をちゃんと発音できなくてさ。シイタケをスイタケと言って笑われたり。街は複雑だし人は多いし、どろ亀さんは都会には住めないと思ったよ。卒業してからも失敗の連続で、しまいに体を悪くしてしまった。そういうときに富良野で助手の席が空いていると聞いて、そこならやっていけると思ったんだ。
伝言③:詩「雪の森」はウンチの話
東大演習林ではずっと森が相手だった。
本郷の教壇には一度も立たなかったし、教授会だの何だのにも滅多に行かなかった。森こそが教室であり、現場だからね。演習林や地元の人たちと仲間になり、森の生き物たちとも友達になったよ。
教えたり、話をするのって難しいもんだ。とくに、子どもに話をするのは、大人よりずっとずっと大変だ。まず、子どもの仲間に入る、子どもと同じ気持ちになることが大事だ。
もうずいぶん昔になるが、函館の幼稚園から講演を頼まれたことがある。どろ亀さんのことが新聞に載って「講演料はワンカップ2個から」と紹介されたもんだから、もうあっちこっちから講演依頼がいっぱいきてえらい目にあった。ずーっと断っていたんだが、この幼稚園のときはつい「来年になったら」と言ってしまった。来年というのは必ずくるもんで、約束をたがえるようじゃ人間はダメなんです。それで、札幌から函館へ汽車に乗った。缶ビールの大きいのを3つ買ってね。
列車の中で、どんな話をしたらいいかずっと考えた。ところが、なかなかね。困ったなぁと思いながら3本目のビール缶を開けて、ひょっと窓の外を見ると、ウサギがぴょこんと出てきたのが見えた。
はっ、これだ。ウサギのウンチの話から始めればいい。子どもって、ウンチの話が大好きなんだ。これで子どもと同じ気持ちになれると思った。講演は大成功さ、ウンチのことを話し出すとみんな笑い出してね、うまくいった。その時につくったウンチの詩が『雪の森』さ。
じつはね、最後の1行は3年後に足したものなんだ。実感、でてるだろう? これでピタッと決まった。
伝言④:生き物たちとの約束ごと
どろ亀さんはね、本当の生年月日を知らないんだ。なんでも生まれてから数年してから届け出たらしい。山奥に住んでいて役場に行くこともなかったらしくてね、なに、当時はよくある話で、だから届け出た日が誕生日になっているんだ。
どろ亀さんは若いころから、関心を持ったら夢中になってしまうクセがあってね。石に碁にマージャンにワラジムシ、チゴハヤブサにヤドリギ……そうそう、カモが気に入って、10数年も観察したことがある。
ある時カモは夜にどうしているのか気になって、深夜に懐中電灯をもって創成川(札幌市)をうろうろしていて、警察官に職務尋問されたことがある。北海道庁の池の周りでは、ある洞で卵を抱いているメスと視線があってバツが悪かった。でも、この場所は誰にも教えないからと約束して、それを守ったよ。生き物にはウソをついたり、だましてはいけないんだ。そして観察する時は、決して相手を驚かせないことだ。これは鉄則なんだよ。
伝言⑤:人間の都合だけで考えないで
カモの親子が行進して、マスコミを賑わせたことがあった。9羽だったヒナが数日のうちに1羽になってしまった。どろ亀さんは、そのわけを知っているよ、カラスのしわざなんだ。でも考えてみると、人間の目からは悪役にしか見えないカラスだって、自然界では生き物のバランスを保つための役割がある。人間はすぐに可愛い、かわいそうが善で、その反対は悪だと決めたがるが、ものの見方を変えると逆転することだってある。だから、物事をあせって決めることはないし、そもそも善悪を決める必要もないのかもしれない。
自然の世界のことはね、人間の尺度だけで決めてはいけないんだ。 森の中にも悪役はたくさんいるよ。でも、どんな生き物でも必ず何かの役に立っている。嫌いな人が多い虫にしても、野鳥に食べられることで役に立っている。ムダがないんだね。なのに万物の霊長たる人間は、生きていくためだといってムダな消費をしすぎる。地球環境を悪くする生き方をしていることに気がつかない。 どろ亀さんはね、みんなにだれかの、何かの役に立つ生き方をしてほしいと願っている。人間もひとつの生き物、人間の都合だけを考える大人にはなってほしくないもんだ。
伝言⑥:まわり道してもいいんだよ
人間には、その人その人に与えられた能力がある。違うのは、得意種目は何かということだけだ。先日、体が不自由なので筆を口にくわえて絵を描いている人をテレビで見たが、これは久しぶりに感動した番組だった。障害がある、年寄りになるということには、なにやら暗いイメージがあるが、そうではない。
どろ亀さんは最近、目が悪くなってきているが、そうなると別の機能が発達してきて、目に見えないものが見えてくるようになってきた。森の中で「気」を感じるようになったし、人の心の中もよく分かるようになってきた。能力にはいろんな種類があって、なにも力だけではないんだよ。自分のやりたいことや得意種目を、一生かけて積み上げていくことだ。そのためには嫌だと思うことにも耐えることが必要だ。見た目のカッコよさだけではダメだよ、長続きしないからね。コツコツと一歩ずつ、自分のもっている能力の限りをつくして、社会に役立つ人間になってほしいと思う。まわり道をしてもいいんだ。短時間でみると損をしたように見えることも、短いようで長い人間の一生、きっといつか役にたつ。
伝言⑦:放っておいたら自分で何かを見つけるさ
最近つくづく思うんだが、とにかくお母さんというのは大変だ。何といっても、人間を育てなくちゃならんのだからな。子育てというのは、つまり人間の土台づくりだ。お父さんにも大事な役目があるが、やっぱり育児の中心はお母さんだ。
だが、お母さんとはまた欲張りなもんでな。あれもこれもと押しつける。親のほうが先に欲を持ってしまうと、自分の子どもが何に向いているのか、どんな個性を持っているのか見えてこないものなのにな。
人間はみんな個性を持っている。いや人間だけじゃなく、あらゆる生き物が個性を持っているんだ。お母さんや先生、まわりにいる大人たちの役目は、この個性を伸ばしてやること。これだけなんだよ。
人生100年を生き続けるような長寿時代になって何が一番大事かというと、それはやっぱり小さい頃のことだ。出発点である小さいときに本物にふれて、そこから学びとった体験は、その人間の大きな財産になる。本物とは自然のこと、森のことだ。森の中にはウソがない。たとえ見つけたものが昆虫やヘビの死骸だろうと、それは本物だ。こういうことは子ども心にも分かるもんなんだ。
本物の体験をした子どもは、体の中に「芽」を持つことになる。ある時、その子が大きくなって苦境に立ったとき、その芽はひょーっと伸びてきて、そして行き詰まった考えを変える発想の転換点になって実を結ぶのさ。科学でも芸術でもスポーツでも、どんな場面でもね。
また、本物を知っていると、それが人であれ物であれ、本物かニセモノかの判断がつくようになる。ニセモノが横行している世の中では、そのほうがラクなことも多いのだろうが、それでは決して真実にはたどりつけないものさ。
子どもを森の中で放っておいてごらん。安全を確認したら、あとは何も教えず放っておく。これが大切なんだ。人間に必要なものは、すべて森の中にある。子どもはそれを自分で見つけだすよ。
伝言⑧:秋にオタマジャクシを見たんだよ
そうそう、オタマジャクシって春しか見られないと思っているだろう。でも、どろ亀さんはオタマジャクシを秋に見つけたことがあるんだ。平和の滝(札幌市手稲区)の奥にある秘密の実験場所でね。いや、びっくりしたよ。こりゃ新発見かもしれんと思った。でも、みんなにこの話をしたら、てんで鼻であしらわれてさ、そのうちボケたんだと笑われてしまった。しかし、実験場所には現実におったんだよ。どろ亀さんは直観で、オタマジャクシのまま越冬するに違いないと推理した。
本やテレビが学習に役立つことは確かだけど、やっぱり現場から学ぶことだ。行動が大切だ。小さいうちから、できるだけ現場で本物にふれて、不思議だな、と思うことが大切なんだ。まず不思議だ、きれいだと思うのが先で、なぜなんだろうとかもっと知りたいと思ったら図鑑を開けばいい。本に書いてあることがすべてじゃないし、定説が間違っていることもある。そう思ったら、とことん追求してみることだ。
どろ亀さんの現場はもちろん森だよ。森はヒミツの宝の山だからね。まだまだ不思議がいっぱいある。たとえば、最近分かってきたことだが、樹木は交信をしているらしいよ。人間が森に入ってきたら、そのニュースが森の中に知れ渡たるんだそうだ。やがて人間と樹木も、交信できる日がくるかもしれないね。
伝言⑨:時間が積み重ねたもの
じつはどろ亀さん、村長をしていたことがあるんだよ。はじめはふさわしくないと思って気が重かったんだが、黒沢尻(北上市)が縁でね。みちのく民俗村というんだ。この村は北上市立博物館の野外施設で、10年がかりで古民家や遺跡を集めた所でね。ここへ行くと、どろ亀さんの心はすーっと子ども時代に帰ることができる。茅葺き屋根に土壁、いろりや古い道具など、昔の雰囲気がそのまま伝わってくるんだ。そうそう、ニワトリやウサギ、ヤギのユキちゃんもいた。
今の世の中、新しいものが大はやりだが、古くからあるもの、伝わってきたものの心を忘れてほしくないとどろ亀さんは思う。いつからか目新しいもの、新品が一番だと追い求めるようになってしまったが、古いものを大切にする心、敬う心を忘れてしまっては、何と寂しい、潤いのないことだろう。常に新しいもののほうがいいとは限らんのだよ。
どろ亀さんがみんなに言いたいのは、古いものを軽視しては、新しい発見や発想は生まれないということだ。時間を積み重ねてきたものには、すばらしい価値がある。古いものを吸収して、それからが新しい出発点なんだ。芸術でも、科学でも、どんな研究だってそうだ。みんなの心の中にも、ひとつやふたつは古いものがあるはずだ。それを慈しんでごらん。きっと何かが見えてくるよ。
伝言⑩:ぼろリュックと心通わせて
とくに森へ行く時は、新しいものは似合わない。古いものほどいい。どろ亀さんは、誰かが着古したものや、ボロボロになって繕ってあるものが、とっても体に合う。服はいつもウサギさん(どろ亀さんの奥さんの呼び名)に継いでもらったものさ。
どろ亀さんの持ち物の中で古いものの代表といえば、やっぱり親友と呼んでいるぼろリュックだな。もう継ぎはぎだらけで、ずうっと修理をしてくれていたところからも「先生、もう限界だわ」と言われてね。
なんせ、現役時代の37年間ずっとどろ亀さんの背中にあって、そのあとも森に行く時はずっと一緒だったからなぁ。さすがに肩にかける皮ひものとこが擦り切れてしまったし、無くしたりしたら一大事だから、平成に入った頃から留守番させているんだ。
でもね、雪がとけて最初に森に入るときや、久しぶりに手稲の山小屋に行くときに、連れて行くこともある。たまには連れてってくれとせがむんだよ、リュックが。そのときは、ふたりでこの木も大きくなった、あの木も立派に育ったと話をしながら山道を歩くのが楽しみさ。
やぁやぁ、どろ亀さんだ。
ん? なぜ、こんな名前がついたのかって? そうか、まずその話からにするか。
どろ亀さんは昔、富良野市山部にある東京大学北海道演習林で、森を研究する仕事をしていたんだ。37年間もやぶやササをかき分けて、山の中をはいずり回ってね。お酒が好きなことから、最初は「亀」だけだったんだが、ある日、山で転んで泥だらけになって仲間がどろ亀というようになったのさ。でも、語呂が悪いから、自分で「さん」をつけた。このほうがバランスもいいし、ゆとりを感じるべさ。あのね、高橋延清というのは、ま、表看板なんだが、こうして話をしたり講演するのはどろ亀さんなんだよ。一杯やって変身するのさ。
何事にもノロマで要領が悪いし、かっこ良く立ち回れないどろ亀さんだが、目標がみつかったらコツコツやっていくいいところもあるんだよ。帽子をかぶると亀そっくりだしな。アルコールは3歳のころからトレーニングを積んでいたから、オールマイティさ。とにかく雪深い山奥の沢内村(岩手県)で育ったから、寒さ対策みたいにしてね。いまも昼間はビールかワインをちょこっと飲んで、夕食のときは日本酒だったりウイスキーだったり。これがどろ亀さんのエネルギーの源であり、命綱でもあるんだ。一杯飲むと頭がクリアになって詩も生まれる。
どろ亀さんは飲んで碁を打つのが何よりも好きという暮らしをしているんだが、これからを生きる人たちや地球環境のために、何かお役にたちたいとも思っている。ま、老いて二度童子(にどわらし)になった亀の話ということで、思いつくまま話をしてみたい。