どろ亀さんへの手紙

どろ亀さんが蒔き続けた
森の心のタネ。
それを受け取った方たちから寄せられたお便りを掲載します。

追悼展にご応募いただいた
手紙・作品を紹介します。

川本 仁美さんの手紙  
Dear どろ亀さん、C.W. ニコルさん

川本 仁美さんの手紙 Dear どろ亀さん、C.W. ニコルさん

林 実佳さんの手紙  
題:『森の樹にハグ』

  どろ亀さんは樹を育て、   フラノの森をつくる。   そして元気をもらう。   ニコルさんも樹を育て、   アファンの森をつくる。   そして元気をもらう。   どろ亀さん、ニコルさん、   樹木にハグをする。 林 実佳さんの手紙  題:『森の樹にハグ』

林 実和さんの手紙  
題:『お昼ねタイム』

  樹の葉のゆりかごで   ユラユラゆれます。   風に吹かれて   森の仲間、みんなで   お昼ねの時間です。 林実和さんの手紙 題:『お昼ねタイム』

普段私達は自然に支えられ、心を癒されながら暮らしています。しかし、自らの手によって何百年も何千年も生き続けていた森、生き物を瞬く間に壊しています。森や生き物は人間の様に言葉で話すことができない。だからこそ私達が耳を傾け、目を向け、大切に共に生きることが大事であると、今回の作品で考え、思い描きました。この企画がきっかけで自身の知識も増えました。  深い内容なので、浅はかではありますが、この絵で描く皆が心地良い場所を守り続けるのにはどうしていくべきなのか、考えていきたいと思いました。

宮崎 守さんの手紙  
百年かけての森づくり

宮崎 守さんの手紙 百年かけての森づくり

Ryo.さんの手紙

 20年ほど前、娘と通っていた図書館で偶然出会った、ニコルさんの"魂のレッスン~ぼくとモーガン先生の日々~"。ちょうど2人の子育ての真っ最中のころでした。  近くの公園、森、山へ出掛けては楽しい時間を家族で過ごしておりました。そこで出会った沢山の素敵な瞬間は教えてもらう事ばかりでした。また同じ場所でも季節、時間により様々な出会いがあり、飽きる事はありませんでした。  悩みながらの手探りの育児でしたが、ニコルさんの本を読み、心の中の迷いが吹っ切れるようなすっきりとした気持ちにさせてくれた事を思い出します。子供が学ぶ事は自然の中にいっぱい詰まっている事、いや、全てあるのではないかと思いました。  娘もこのニコルさんの本を小学生の時に読み、お気に入りの1冊となり、大人になった今でも大切な1冊となっております。 "ニコルさん、ありがとうございます"

Ryo.さんの手紙1 Ryo.さんの手紙2

報恩寺(佐賀県)住職 加藤 元章さんの手紙

 私が最初に心ひかれたのは、高橋先生が森で動物たちに話しかけられる態度です。昆虫を見降ろしておられないのです。対等の立場で話しかけておられます。里山の再生を目指す写真家の今森先生も菜の花の開花を目指しておられますが、人間優位の立場からではなく、自然の植物と対等な立場で里山の復活・なのはな畑の再生を目指しておられます。  高橋先生が「どろ亀さん」を自称されるのは、人間優位の立場を捨てて、森の昆虫や植物と同じレベルに自分を下げて、対等の立場で人間と生物との共生を目指しておられるのではないかと考えられます。

 ※加藤さんからは、追悼展開催を祝う言葉や、これまで取り組んだ、どろ亀さんらのテレビ番組での言葉を聞き書きした資料数点を提供いただきました。このページでは、いただいた書面(本文)の中から、どろ亀さんに関わる部分を抜粋して紹介しています(追悼展では全資料を展示しました)。

亀好きパンダさんの手紙

 私とどろ亀さんとの,出会いは、クレマチスの丘美術館で岩永泉さんの絵を拝見したときでした。幼稚園教育に当時から携わっていたため、以前から亀と子どもたちの関わりがたくさんありました。自分で長期休みに自宅で亀を預かる機会があり、どろ亀さんと亀の関係に驚嘆させられました!小さないきものとの関わりは、子どもたちに沢山のことを伝えてくれます。富良野にまで伺うことは叶いませんが、子どもたちの心に素敵なタネがまかれますように。

札幌在住 昔のお嬢さんの手紙  
題:教えていただいたヒ・ケ・ツ

 お懐かしいどろ亀先生。手稲山に登った帰り道に、ほんとうに偶然でしたけれど、何回か手稲の山小屋に行く途中のどろ亀先生にお会いしましたね。「せんせ~い、どろ亀さぁん!」と呼びかけると、先生は「やぁやぁ、昔のお嬢さん方」と笑顔で応えてくださり、とても嬉しかったことを覚えています。  当時も昔のお嬢さんでしたが、今はすっかりお婆さんになり登山をすることもなくなりました。でも、孫やその友だちに先生の詩を読んだり、テレビで自然番組をいっしょに観たりしています。  すると、知識がなくて答えられないことを尋ねられて困ることもありますが、その時は先生に教えてもらった「それはね、いっしょに考えてみよう」とか「調べてみよう」と言って、手をつないで図書館に行くことにしています。子どもはいろんなことを不思議に思うようで、相手をしていて楽しいです。

虻田郡倶知安町在住 
藤井 俊宏・雅子さんの手紙  
題:どろ亀先生との出会いと想い出

 1988年3月4日函館本線倶知安駅(通称山線と言われている。長万部・小樽間は新幹線札幌延伸と共に廃線が決まりました。とても残念です。)のホームにどろ亀先生を迎えるために立っていました。赤いチロリアンハットを被り、愛用のザックを肩から下げ、列車から降りてくる姿は直ぐどろ亀先生と分かるいでたちでした。これが最初の出会いでした。倶知安に来て頂いたのはニセコひらふスキー場近郊にある小さな学校樺山小学校で子どもたちにお話をしてくださいとお願いをしていました。快く、どろ亀先生は引き受けて下さいましてこの日のお話会となりました(この時の様子は「どろ亀さん、最後のはなし」の本に載せていただきました。―山の小さな学校でのお話―)。このことがきっかけで私の家族とのお付き合いが始まりました。倶知安に来られるときは連絡頂き、当時私の家はスキー場でヒュッテをしていましたので、宿泊していただくこともありました。その頃は鬱蒼とした森の中に建っていました。周りの木々を見て「この木は良い木だ。周りも良い土地だ。このままの姿であればいいのだが」といっていましたが、話題になっている地域なのでどんどん開発が進み、林はなくなり、動物もいなくなり、私たちも8年前にこの地を去りました。今、どろ亀先生がこの地を訪れましたら大変嘆かれると思います。  倶知安での来訪の際仲間と、どろ亀先生と飲み会をし、何故か虫の話で大盛り上がり、次の日送りがてら自宅へ押しかけました。ここでも虫の話になりました。それも「ワラジ虫」です。ご自宅の庭の枯れ葉を手で払い、大きな石をどけ「ほーれ我が家で飼っている虫さんがでてきましたよう」と私たちに見せてくれたのです。年に1回ほどどろ亀先生のお宅を訪問するようになり、ご自宅にも上がらせてもらい、書斎で色々なお話を伺い、楽しいひと時を過ごすことがありました。  分け隔てなくお付き合いしてくれるのもうれいしいことでした。ある日「藤井君、今度NHKの番組で森の中で大江健三郎先生と話をする番組がある。きみ観ておいてくれ」「先生この日、その時間家にいないのでだめです」「そうか・・・残念」と言われて、後程放映されたDVDを送って下さいました。こんなことが何回かありました。こんな逸話もありました。某新聞社の記者から電話が掛かってきたことがあり、その内容は「どろ亀先生体調が悪いと聞いているのですが、現在の先生に変わったことはあるのですか。済みませんが確かめてもらいませんか?」ということでした。心配になりすぐご自宅に電話を入れました。「先生お元気ですか?変わったこと御座いませんか」「おー元気。変わったことあったぞ。なんとエジンバラ公賞を頂いた。君もお祝いの電話か。ありがとう」私はもちろんエジンバラ公賞という賞のことも知りませんでした。ただどろ亀先生の容態の事で電話したのですが。多分新聞記者もこの賞のことで、どろかめ先生の周囲がざわついていることが、どろ亀先生に何かあったのではないかと勘違いされたようで、後で大笑いになりました。この後で受賞のパーティーに出席させてもらいましたが、この話はどろ亀先生には内緒でした。これも逸話の一つです。私たち家族ともどもお付き合いいただいている小児科の女医さんがいました。たいへんどろ亀先生のファンで先生の著作本を数冊欲しいという事で選んで届けました。そのことをどろ亀先生にお話しすると「亀さんのファンに是非会いたい」ということで、電話をかけ「これから行きます」という連絡があったそうです。いつまで待ってもなかなか来ず、私の所にも「どう来ているのかしら」という問い合わせでしたが、駆けつけることはできませんでした。後からの連絡で歩いてきたそうです。どろ亀先生のご自宅は大学村、小児科の女医先生のご自宅は丘珠の近く、これにはびっくりしました。とにかく楽しいどろ亀先生でした。今頃宇宙で二人合ってお茶でも飲んでいるでしょう。  C.W.ニコルさんのことですが、2016年3月、どろ亀先生が子どもたちにお話していただいた小さな学校樺山小学校(現在全校生徒19名・現役で使われている全道一古い木造校舎です。)でお話会をニコルさんにしていただきました。 ニコルさんお元気なころでした。どろ亀先生との縁でした。  私の家族はどろ亀先生に育てられた一面がありました。子どもたちに伝わっていると思います。  夫婦で週一回小学校に本読みをしています。  兎さん走りながら ポロン ポロン  ウンチする  兎さんウンチ  樺色だ  木の皮ばかり 食べてかな  狸さん そんなこと とっても、できないよ  おなかが出ていて 短足だ   ときどき  穴から出てきては  タメグソ どっさりさ  いい気分 いい気分  どろ亀先生赤いチロリアンハットを被り、愛用のチョッキを着、前かがみになり、兎になったり、狸になったりし、子どもたちの間に言葉のウンチを落とし歩く。  このような形でなんとか「詩集 どろ亀さん」を読み続けています。 どろ亀先生ありがとうございました。

松木 信義さんの手紙

 どろ亀さんがこっち(アファン)に来たり、おれがニック(ニコルさん)と向こう(北海道にある東大の演習林)に行ったりしたね。 「北海道一」というナラの大木に案内してもらったこともあったな。「ドーン」と、そりゃあ、見事なほどに天に一直線に伸びてさ、20㍍以上はあったろう。 で、「名前は付けてあるのか」と聞いたら、「ない」と言うから、「じゃあ、北斗ナラでどうだい」と。それで、俺が名付け親になったんだよ。  あの人は、「東大の大先生」というが、少しも学者臭くなくてね、(俺には)「普通の人」だったよ。学者先生というのは大概、「これは何目の何科の何属なんたら」と、小難しいことばかり言う。でも、あの人は違った。 大切なのは、この木はどういう性格で、どんな土地が好きで、どんな使い道があるのかとか、木の実はどんな生き物が食べるとか、そういうことだよ。同じナラだって、場所によって枝の張り方や葉や木の実の大きさも違うしさ。 森には役に立たないものなんかないのさ。どろ亀さんはそのあたりを分かっていて、話が尽きないんだよ。 それに、雨が降ろうが、雷が鳴ろうが、森に出てさ。それで、いつも泥だらけだろ。で、酒も大好きでね。人間臭くて、実に面白い人だったよ。

森田 いづみさんの手紙

 どろ亀先生が、ニック(C・W・ニコルさん)と松木さんに言った言葉を印象深く覚えています。「自然界というのはいつも議論をしているんだよ。『俺はここ、お前はあっちが向いている』とか、『なんだか、森がおかしな雰囲気になってきたぞ』とか、『今年は天気がどうだ』とかね。そうして全体のバランスを築いてきた。アファンのいい所は、ニックと松木さんがそんな会話を聞きながら、二人で『ああだ、こうだ』と議論をしながら、森づくりをしているところだね」

札幌在住 森さやかさんの手紙  
題:いつか私も

 札幌近郊で植樹・育樹活動をしています。活動を通してどろ亀さんを知りました。とくに、今年の4月29日に参加した「山川草木を育てる集い」富良野本部での植樹祭では、どろ亀さんのお弟子さん達と一緒に活動に参加し、樹木や自然に対する姿勢など様々なことを教えて頂きました。  どろ亀さんが撒いた種が育ち、更に種となり、今、私たちが受け取っているという思いがしました。私も、誰かに育てた種を渡せるようになりたいです。

森林学習サポーター 雪ん子さんの手紙  
題:どろ亀先生からの伝言

「ワラジムシは人畜無害!」 これが27年前に私が どろ亀先生からお預かりして 大切にしてきた「心のタネ」です。 どろ亀先生にお目にかかったのは一度きり。 「トウダイエンシュウリン」って何? 「どろ亀さん」って誰? 本州から北海道にやって来て2年目の私は 友人夫妻に誘われるまま富良野市内の 空知川河川敷で行われた植樹会に参加した。 その時来賓として招かれていたどろ亀先生。 少しばかり赤い顔にお酒の香りを纏いつつ 握手を求めると快く応えてくださいました。 後に「トウダイエンシュウリン」とは 「東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林」 地元の方々から「東大演習林」の愛称で親しまれている 森の名称であり、 それから「どろ亀さん」とは1942 (昭和17)年から その東大演習林の第5代林長として ご活躍された方の愛称あったことを知ることとなる。 その植樹会のご挨拶にて発せられたコトバの中に 「ワラジムシは人畜無害であります!」 とあったように記憶している。 北海道の古い家に暮らしていると 好むと好まざるとに関わらず 様々な先住の生き物たちと遭遇し また彼らと共同生活を送ることとなる。 「ワラジムシ」も その先住者の一員である。 春になるとどこからともなく現れ来たる。 春と言ってもまだ外は雪の頃だ。 ドラッグストアなどではその固有名詞入りの 駆虫剤が売られているほどで、 見た目で駆除したくなる気持ちは良くわかる。 今では春を告げてくれる為に現れた と微笑ましく眺めることができるけれども できればひとつ屋根の下での同居は遠慮願いたい。 そのどろ亀先生からお預かりした 「ワラジムシは人畜無害」 というおまじないの様な伝言のお陰で ヒョイと捕まえて屋外退去していただく事に躊躇は無い。 毒を吐いたり人を襲ったりする事が無いことは 子供時代からの体験から見知っていた気ではいたが はっきりと心得ていた訳では無く。 あまりに沢山現れた時 この言葉を意識していなかったとしたら 駆虫剤に頼ってしまったかも知れず、である。 どろ亀先生は だから殺虫剤を使ってはならぬとか そういう事は一切仰らなかった。 その一言放たれたコトバの中から 私は彼らが日々 何をしているのか 何を食べ何を求めて歩いているのかを 良く観る事を勧められたような思いを受け取った。 「自分とは違う誰か」 「自分とは違う何か」 未知の存在と出逢った時 どうやらニンゲンは我が身を守る為に 見知らぬ者は嫌悪の感情を抱き 排除したくなる衝動を 本能として持ち合わせているようだ。 しかしながら、 この星 地球の為に 私たち人間にはできない何かを 成す者やも知れず。 だから よく観察して。 感謝して。 彼らを。 命のはたらきを。 という大事なコトを教わった。 そして私はこのコトバを知る以前よりも 強く優しくなれたように思う。 それを自分だけに留めるに非ず。 今 私は森林学習のサポーターとなり 富良野で育つ児童生徒にも 「森の心」を伝えるお手伝いをしている。 「ワラジムシは人畜無害!」 このシンプルなひとことの偉大さを 今ひとたび噛みしめながら 先住の者たちとも日々和やかに暮らしている。 ひとりでも多くの方にお伝えしたい。 この どろ亀先生からの伝言が 「心のタネ」となり いつの日か人々の心の中で芽吹き 豊かな森となる日が近いことを願って!

どろ亀さん

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